山中川男と情報システム担当者のオープンソース化計画

ベンダーロックインからの脱却を目指すすべての方と共に

かわお、泡を洗い流します。

お疲れ様です。

山中川男です。

 

新しい年が始まりました。

しかし、昨年から引きずっているものが無くなるわけではありません。

 

引きずってるものが有る人は大変ですけど、今年も頑張るのです。

川男もがんばります。

 

さて、現代は生きにくい世の中になったと感じることが多いです。

テレビを見ていても、どうでも良いような不審火レベルのネタでもあっという間に炎上し、集中砲火を浴びている有名人は多いですね。

 

一つの失態でその人全ての人格や功績が否定される世の中です。

 

これは人々の思考がフィルターバブルによって過激になっているのかもしれません。

 

そして、都合の良い自己主張をする人も増えたように感じます。

特にハラスメント系の問題で如実に感じますね。

 

一応断っておきますが、何かされても我慢しろと言っているわけではないので悪しからず。

 

こういった問題の根本は何なのか少し考えを表出してみようと思います。

 

フィルターバブルとは

フィルターバブルについて、下記のサイトの情報を参考に簡潔に語りますと

フィルターバブルとは - コトバンク

ネットの検索エンジンのAIによって自分の気持ち良い情報のみが入手され、その他の情報は排除される環境下にいることで、狭い価値観の中に閉じ込められると同時に、自分にとって気持ち良くない、否定的な情報に対して異常なまでに攻撃的になることかと認識しています。

 

まったく簡潔ではなくて失礼しました。

 

要するに、他者とのコミュニケーションに置いて一向に分かり合えないまますれ違い続けるリスクが有るということです。

価値観について

最近、議論や討論の場に置いて全く話が噛み合わない事が多くあります。

私がそう感じているだけかもしれませんが、確かに噛み合わないのです。

根拠やデータを基に話を展開すると

 

「それは屁理屈だ!」

 

と一蹴されるのです。

理屈で完全に論破されている状況だとしても、「それは屁理屈だ!」と言ってしまえば自分が優位に立った気になっているのです。

 

データを基に話しても理解されない理由の一つとしてフィルターバブルによるものがあり、自分に気持よくない情報を拒絶している場合も考えられるのです。

 

私もどちらかというとフィルターバブルの中で気持ちよくなっている立場でした。

しかしある時から、世の大企業に良いようにマーケティングされているような感覚に襲われて、"便利なサービス" や "便利なツール" を使用することを基本的には辞めるようにしてきました。

 

すると、便利なものに依存している方々はあまり何も考えていないことに気づいたのです。

 

それはまた次の記事にでも書こうと思います。

 

ということで、ダラダラ長く書くとお互いに疲れちゃうと思うのでこのくらいにします。

 

 

ちなみに、これらはあくまで私かわおの考え方です。

よろしくおねがいします。

 

以上、かわおでした。